元気な“末期がん患者”が自由を奪われる不可解な現実
生活保護を受ける69歳男性が、ホスピス型老人ホームで「末期がん」と診断され、年間800万円もの税金が投じられている。
しかし本人は元気で自立生活も可能な状態。
それにもかかわらず、外出もリハビリも制限され、“自由を奪われた生活”を送っているという。
不正請求の疑惑や制度のスキマも浮かび上がり、現場の実態に波紋が広がっている。
参照元: https://news.yahoo.co.jp/articles/fb7d2cd5ae2d06ef3aa5a10c0e4780ee5b9d70aa
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ポジニキの解説コーナー
【解説①】「末期がん」とは一体なんなのか?──定義の曖昧さとその功罪
はい、まずは「末期がん」の定義についてサクッと説明してくで。実はこれ、医療界では「がんの終末期」と呼ばれることが多いんやけど、実際は「明確な定義がない」ってのが現実やねん。
つまり、「医者が末期って言えば末期」ってこと。厚労省の公式見解でも「医師の判断による」ってされてるから、現場レベルでは診断名が結構ユルい。ここで問題になるのが、制度面で「末期がん」に指定されると、医療や介護サービスが手厚くなることや。訪問看護とか介護の報酬が高くなるから、業者側からすると“うま味”があるんよな。
今回のケースでは、病院と老人ホームが「末期がんです」と情報提供したのが発端やけど、実際には患者本人は自立歩行もできて、特に治療も受けてないわけやから、「ほんまに末期なんか?」って疑問が出てくるわけやな。特にがんの再発から3年以上生存してて、普通に外出願望もあってリハビリ希望してる状態やと、終末期ケアというより“元気な独居高齢者”扱いの方が現実的やろ。
ただし、これを医者が「末期じゃありません」とはっきり診断すると、訪問看護や介護の利用根拠がなくなってまう。そしたらホームは報酬も減るし、最悪「退去してくれ」ってなる。患者が行き場を失うリスクを考えると、現場の医者も割り切れない立場なんやろなぁ。制度のスキマが、人道と利益の板挟みを生んでるわけや。
結論としては、「末期がんの定義が曖昧すぎる」のが制度の根っこでの問題点。そら悪用も生まれるわな、って話やで。
【解説②】生活保護と高額施設費──800万円の謎を解く
さてお次はこの「年間800万円の税金」問題についてや。これはマジでおおきな論点やで。生活保護って、要は「最低限度の生活を保障する制度」なわけやけど、なぜか今回みたいに「超ハイスペック施設での生活」が発生してまうことがある。
この老人ホーム、いわゆる“ホスピス型”って呼ばれてて、末期がんや難病の方を対象にしてる。その分、医療・看護・介護がセットになってて、月額コストがめちゃ高い。家賃・食費・訪問看護・訪問介護・管理費全部込みで、月60万〜70万いくケースもざら。年間換算でそら800万近くなるわな。
じゃあ、なんでこんな高額施設に生活保護の人が入るんや?って話やけど、実は入院してた病院が「ここしか紹介できなかった」ってパターンが多い。退院させるには、受け入れ先が必要。でも身寄りがなくて一人暮らしが難しい人には、選択肢がほぼない。普通の賃貸住宅での訪問介護は、ケアマネや地域包括支援センターの協力が必要やし、地域によっては施設空きがゼロなんてのも珍しくない。
だから、制度上は「最低限の生活費」として支給される生活保護費が、実際には「超高額施設維持費」として使われてしまうという、ちょっと歪な現象が起きるんや。しかも本人はそれを望んでいないとなると、「誰のための生活保護なんや」ってツッコミ入るのもしゃーない。
税金の使い道としては、極めて疑問やし、生活保護制度そのものへの信頼感にも影響してくる部分やねん。
【解説③】“自由がない”介護生活──現代の「軟禁」構造とは?
このケースで特にインパクト強いのが、「外出制限」「リハビリ拒否」「部屋から出るな指示」やな。普通に考えて、元気な高齢者が散歩したりコンビニ行ったりするのは健康にもええし、筋力低下の予防にもなる。でもこの老人ホームでは、それが“なるべく出るな”と制限されてるわけや。これって、実質的には「軟禁」やろ。
なんでそんなことが起きるんか?って言うと、実は施設側の「利益構造」にヒントがあるんよ。今回のホームは“訪問看護・介護事業所”を併設してて、自社のスタッフを毎日入居者に派遣することで報酬を得てる仕組みや。だから、外部のリハビリ業者を利用されると、その分“自社の取り分”が減ってしまう。そうすると、「あれこれ理由をつけて使わせない」って動きになるわけやな。
さらに、部屋から出てウロチョロされると、管理コストも上がるし、転倒リスクも増える。つまり、「動かないでいてくれる方がラクで儲かる」って構造になってるわけや。怖すぎやろ。
しかも、この生活をしてる本人は「自由がほしい」って言ってる。自分でトイレ行けるし、会話もできるし、食事も問題なし。でも、それでも「末期がん扱い」されて、24時間監視下にあるような生活を強いられる──これはもはや医療や介護じゃなく、“収容”に近いやろ。
これを放置してる行政も、実は“都合がいい”って思ってる可能性がある。なぜなら、生活保護受給者をこういう施設に入れておけば、居場所の確保・健康管理・対応全部丸投げできるからや。コストはかかっても手間は減る。制度的にそれがまかり通ってるんやな。
現代の日本で、合法的に自由を奪われる生活──その温床が「ホスピス型施設」となってしまってるのは、ほんま由々しき事態やで。
【解説④】訪問看護・介護の“不正請求”疑惑──誰がチェックするんや?
さて問題の核心、報酬の不正請求について掘り下げようか。この記事にもあるように、「深夜0時に毎日訪問してた記録がある」とか「30分以上必要なはずの看護が5分で終わってる」とか、明らかに怪しい点がいくつもある。
訪問看護・介護って、国の医療保険・介護保険を財源としてるわけで、「何時に、どれくらいの時間、どんなケアをしたか」を記録して報酬を請求する仕組みや。でも、実際の現場では、「記録だけで事足りる」ってのが問題やねん。
つまり、誰かが実際にチェックしてるわけじゃなくて、事業所の自己申告ベース。だから、「やってないけど、やったことにする」って改ざんもやり放題なんよな。今回の老人ホームでは、「夜中の訪問があったことにされてる」って証言が出てるけど、こうした記録の水増しは、利益目的で広く行われてる可能性があるで。
しかもこういう“グレーゾーン”を行政が見逃してるのも問題や。普通に考えて、元気な人に毎日3回も訪問看護する必要なんてないやろ。でも「末期がん」って診断があるだけで、何の精査もされずに報酬が支払われてるって、制度としてザルすぎや。
チェック機能を持ってるのは本来、自治体や保健所、介護保険審査会とかやけど、マンパワー不足・知識不足で全然機能してへん。だから結局「自己申告がすべて」って状態が続いて、悪質な事業所が“やったもん勝ち”になってる。これは日本の医療介護制度の大問題やで。
【解説⑤】制度のはざまに落ちる人々──支援とは何かを考える
最後に、今回の安藤さんのような「制度に取り込まれて抜け出せない人」について考えてみようか。本人は「自由に暮らしたい」と言ってる。でも、それを実現する手段がない。お金もない、身寄りもない、行政も動かない。まさに「制度のはざまに落ちた存在」なんよな。
生活保護って、憲法で保障された権利でもあるけど、実際の運用は自治体任せで、制度に詳しい支援者がいなければ、本人の希望なんて届かないことも多い。安藤さんも、最初は入院先の紹介でこのホームに入っただけで、自分で選んだわけじゃない。なのに、今では「出たい」と言っても、それを叶える道がない。
自由を望む本人に対して、「ここにいれば安心でしょ」「食事も医療もあるし」と形式的な“善意”で閉じ込めてしまう構造は、まさに現代の「優しい軟禁」やね。支援のつもりが、逆に人を不自由にする──これは今の福祉制度の本質的な矛盾でもある。
じゃあどうすればええのか? 一番必要なのは、「本人の意思を最優先にする支援体制」やろな。例えば、元気で自立できるなら、アパートで独居+訪問介護の方がコストも安く、本人の満足度も高い。それを実現するためには、医師・福祉職・行政が連携して、丁寧に本人の生活設計をサポートする仕組みが必要や。
「税金の無駄遣いや!」って怒る前に、「どうすればその人らしい生活を支えられるか?」を考える──それがほんまの意味での支援やと思うで。

いや〜これはちょっと考えさせられる案件やなぁ…。ポジ山ニキ的には、「本人が自由を望んでるのに出られない」ってのが一番キツいポイントやと思うで。制度のスキマにすっぽりハマってもうて、行政も業者も「動かない方が楽」ってなってるの、ほんま草も生えんわ。
末期がんの定義、生活保護の使われ方、介護の利権構造──全部がグレーに絡み合って、最終的に困ってるのは本人だけってのが闇深すぎやで。せやからこそ、これを機に「誰のための福祉か?」って視点、もう一回ちゃんと見直した方がええなと思いました(小並感)。
まぁワイらも、こういう実態を知った上でちゃんと声を上げていくことが第一歩やろな!サンキューな、見てくれて!また面白いニュースあったら取り上げるで!